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GS(グループサウンズ)と60's!
THE TIGERS ザ・タイガース
タイガース

ダントツの人気アイドル・グループ! あのジュリーこと沢田研二がボーカルの人気バンド。 ジュリーの“♪君だけに〜君だけに〜”、と視線を投げかけ指差す姿に少女だけでなく少年たちも熱狂! 岸部一徳(おさみ)・シロー兄弟も当時はバリバリのアイドルです。

沢田研二(Vo.)
加橋かつみ(Vo., G.)
森本太郎(G.)
岸部おさみ(B.)
瞳みのる(Dr.)
岸部シロー(G.)
沢田研二

ソロになってからの代表曲は「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「TOKIO」など。映画では『太陽を盗んだ男』の主演も忘れがたい。最近では映画『幸福のスイッチ』で上野樹里の父親役も。 余談だがTBSのドラマ「寺内貫太郎一家」で樹木希林演じるおばあちゃんが「ジュ〜リ〜」と悶えるのは、GS時代のファンの熱狂の揶揄か?オマージュか?
岸部一徳

最近では木村拓也と共演した富士通FMVのCMがインパクト大! タイガース解散後は、弟シローとユニットを組んだり、沢田研二・萩原健一、スパイダースの大野克夫、井上堯之らと“PYG”を結成したりと音楽活動を積極的に続けていたが、現在は個性派(怪演派?)俳優として大活躍中。
岸部シロー

ザ・タイガースのメンバー加橋かつみの脱退によって、留学していたアメリカから急遽呼び戻されメンバーに。堺正章主演の伝説のテレビドラマ「西遊記」での“沙悟浄”も忘れがたい。
森本タロー

「タローとアルファべッツ」を経て、「森本タローとスーパースター」を結成。プレイヤーとして活動すると同時に、西城秀樹やレイジーなどを手掛けた音楽プロデューサーとしても広く知られている。73年に結成された「森本タローとスーパースター」は、月1回のライブを中心に現在も精力的に活動中。
DVD-BOX『東宝GSエイジ・コレクション』の特典映像では、ロングインタビューを決行!京都でのファニーズ結成のエピソードから、タイガース時代の思い出、また映画『ハーイ!ロンドン』でのロンドンロケの思い出など、貴重なお話をたくさんして下さいました。

THE SPIDERS ザ・スパイダース
ザ・スパイダース

GS筆頭の実力派バンド。それもそのはず、あのかまやつひろしが最新のリバプールサウンドを取り入れたサウンドは今でも新鮮! マチャアキこと堺正章と井上順がツインボーカルで歌う“♪とぼけた顔してババンバン〜”は、誰でも知ってるゴキゲンなナンバー!

堺 正章(Vo.)
井上 順(Vo.)
井上孝之(G.)
かまやつひろし(G.)
大野克夫(Org., Steel G.)
加藤 充(B.)
田辺昭知(Dr.)
堺 正章

最近では「星みっつですっ!」か、かくし芸大会のオジサンだと思ってませんか! 何をおっしゃる! 綺羅星輝くGSの中でも、ピカイチの実力を誇るザ・スパイダースのボーカリストですぞ! テレビで見かける井上順との絶妙な掛け合いは、さすが40年以上の付き合いのたまもの?! 『にっぽん親不孝時代』では、ドラマ「西遊記」の悟空に通じる演技が見ることが出来てトクした気分に! さらに、特典ディスクの「太陽のあいつ」では、「星みっつ」のルーツを見る事が出来て、筆者、狂喜乱舞(笑)
井上 順

ライブを観て触発され、自ら門を叩きスパイダースに加入。なんとその時16歳だった。堺正章とふたりでツインボーカル&MCを担当した事でトークの修行に?! その後の「夜のヒットスタジオ」での軽妙なトークの司会は大好評。三谷幸喜にも影響を与えたとか。現在も俳優・声優・歌手と幅広く活躍。
かまやつひろし(=ムッシュかまやつ)

小西康陽、カヒミ・カリィ、THE ALFEE、小山田圭吾(コーネリアス)など世代を超えたミュージシャンにリスペクトを受けるミュージシャン。今も色褪せないスパイダースの斬新なサウンドは、当時海外の流行をいち早く取り入れた彼のセンスとアイディアの影響が大きいといえる。
大野克夫

スパイダースの解散後、PYG、井上堯之バンドとして活動の傍ら、作曲家として活躍。代表曲「太陽にほえろ」「名探偵コナン」のテーマ曲は誰でも知っているメロディー。また、「勝手にしやがれ」などに代表される数々の沢田研二のヒット曲は、作詞家の阿久悠とのコンビで提供されている。

THE TEMPTRS ザ・テンプターズ
ザ・テンプターズ

GS全盛期、タイガースと女性の人気を二分していたのが、ショーケン率いるテンプターズ。デビュー当時17歳(!)のショーケン、アイドルでありながらその後のワイルドな魅力が垣間見られる貴重な映像が『涙のあとに微笑みを』です。ショーケンが“♪逢いたい〜君に逢いたい〜”と切なく歌うのは、大ヒット曲「エメラルドの伝説」。

萩原健一(Vo.)
松崎由治(G.)
田中俊夫(G., Org.)
高久 昇(B.)
大口広司(Dr.)
萩原健一

「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事、「傷だらけの天使」など代表作は数え切れない70年代のカリスマ、ショーケン。歌手としても「愚か者」をヒットさせるが(ちなみにその後、近藤真彦がカヴァー)、「美味いんだなぁ、これが!」のサントリーモルツのCMや、コメディ調のドラマ「課長さんの厄年」、腕利きの外科医を演じた「外科医柊又三郎」も忘れがたい。
大口広司

テンプターズのドラマー。現在では俳優として『北の零年』『日本沈没(2006)』『フリージア』などに出演。

昭和元禄の象徴 GS映画誕生40周年!!







1958年、有楽町・日劇での「ウエスタン・カーニバル」の成功をきっかけに巻き起こった狂乱のロカビリー・ブームが、日本における若者のための音楽の幕開けであった。その後、カヴァー・ポップスや青春歌謡が人気を博す一方で、ベンチャーズを中心に展開したのが空前のエレキ・ブーム。若大将こと加山雄三の人気もさらにブームを煽った。66年にイギリスからビートルズが来日したのをきっかけに、エレキにシビれていた若者たちのバンドは、ビートルズの影響を受けて次々にヴォーカルを導入し、そこから“グループ・サウンズ(=GS)”という新たな概念が誕生する。
戦後の若者文化が成熟期を迎え、“昭和元禄”と呼ばれた67〜68年にかけて、GSブームは最高潮に達した。サイケデリックなビジュアルで派手な衣装に身を包んだ彼らは、ミニスカートで街を闊歩する10代の少女たちに特に支持された。黄色い歓声に包まれる様は正にアイドルのハシリといったところ。インスト・バンドとして早くから活動していたジャッキー吉川とブルー・コメッツ、田辺昭知率いるザ・スパイダースを筆頭に、最大の人気を誇ったのが、ジュリーこと沢田研二が在籍していたザ・タイガースと、ショーケンこと萩原健一がいたザ・テンプターズ。さらにフォーク調のレパートリーを得意としたザ・ワイルド・ワンズやヴィレッジ・シンガーズ等、正に百花繚乱であった。その中で最も人気のあった一握りのグループが主演した作品はGS映画と呼ばれ、彼らの演奏シーンや当時の風俗が活写された、昭和カルチャー史の貴重な財産となっている。












































トリビアの森と泉に囲まれて

タイガースをスカウトしたのは内田裕也

大阪のジャズ喫茶《ナンバ一番》で歌っていたタイガースの面々をスカウトしたのは、当時渡辺プロのバンド、ブルージーンズの一員として活躍していた内田裕也だった。同じ頃にスパイダースの田辺昭知からも声がかかっていたという。当初《ファニーズ》と称していた彼等は上京して渡辺プロ入りし、《ザ・タイガース》と改名されてデビュー。たちまちトップ・アイドルの座へと登り詰めた。

タイガースはすぎやまこういちの命名

上京して間もない彼等が初めて出演した番組が、フジテレビの「ザ・ヒットパレード」だった。その収録当日、ディレクターの椙山公一(すぎやまこういち)の命名により、関西出身であることから《ザ・タイガース》となったという。ちなみに《ジュリー》のニックネームは、沢田が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったことから付けられたらしい。

ショーケンの名の由来

萩原健一が中学3年の時に結成したというザ・テンプターズ。《ショーケン》は、メンバーの中で一番背が小さかったことから付けられた呼び名だった。その後一時活動を休止するも、高校中退後にテンプターズを再結成し、ジャズ喫茶へ本格的に進出。田辺昭知の主宰するスパイダクションに所属して、タイガースと並ぶ人気若手グループとなっていった。

「フリフリ」ジャケ写の謎

スパイダースの最初のヴォーカル・ナンバーとなった「フリフリ」のレコード・ジャケットには、何故か主要メンバーのひとり、かまやつひろしの姿がない。ジャケット撮影の当日に遅刻したというのが定説となっているが、デビュー曲としての音楽性の相違による辞退などという噂もあり、依然として真相は不明。その後のムッシュの柔軟なポジショニングから鑑みると、やはり単なる遅刻だったのか?

唯一の紅白歌合戦出場グループ

エレキ・ブーム以来、不良の音楽というレッテルを貼られてしまったGSは、長髪や派手な衣装が放送倫理に触れるとして、国営放送であるNHKには出演できなかった。今では考えられないことだが、あれだけ流行したGSのグループで当時紅白歌合戦に出場したのは、身なりがキチンとしていた(笑)ジャッキー吉川とブルー・コメッツだけだったのである。彼等の「ブルー・シャトウ」はレコード大賞も受賞し、GS唯一の金字塔となった。

GSとムード・コーラス

紅白にも出場したブルー・コメッツや、GS界の貴公子と呼ばれたヴィレッジ・シンガーズであったが、いわゆる大人受けも良かった彼等優等生グループは、次第にサウンドがムード歌謡の方向へと意向してゆくこととなる。ブルコメの「雨の赤坂」や、ヴィレッジの「六本木の雨の中で」などは完全にムード・コーラスのナンバーだし、後にロス・インディオス&シルヴィアのカヴァー・ヴァージョンで大ヒットに至った「別れても好きな人」も、元は「小さなスナック」のヒットで知られるパープル・シャドウズのオリジナルだった。

「また逢う日まで」とGSの関係

《ザ・ワンダース》のメンバーからソロに転身して成功した尾崎紀世彦のヒット曲といえば、なんといっても71年のレコード大賞を獲得した「また逢う日まで」。天才作曲家・筒美京平と、先日惜しくも急逝した作詞家・阿久悠による傑作だが、実は「白いサンゴ礁」のズー・ニー・ヴーが歌った「ひとりの悲しみ」という曲のリメイク版だった。さらに遡ると最初はエアコンのCMソングして作られたメロディで、3度に亘る歌詞の書き換えで空前の大ヒットへと至った作品なのであった。

GS界のキーマン、加瀬邦彦

GSの誕生〜人気を支えた最重要人物は一体誰だろうか。スパイダースのリーダー・田辺昭知? 最も人気のあったタイガースの沢田研二? いずれも正解といえる。しかし、忘れてはならないのがザ・ワイルド・ワンズのリーダー、加瀬邦彦である。実は加瀬の作曲した「ユア・ベイビー」や「雨の想い出」がエレキ+ヴォーカルのスタイルを最も早く実践したオリジナル・ナンバーのハシリであり、加山雄三との交流、タイガースの後見など、加瀬がGSの隆盛に果たした役割は計り知れない。しかもワイルド・ワンズは今なお現役でレギュラー活動を続ける唯一のGSである。

才能溢れるヒットメーカーたちを輩出

GSの流行は旧態然とした専属作家制度を崩壊させ、若きソングライターたちの登場を促した。作詞では阿久悠、橋本淳、なかにし礼、山上路夫ら、作曲ではすぎやまこういち、鈴木邦彦、筒美京平、村井邦彦、加瀬邦彦といった作家たちがGSをきっかけに才能を発揮し、新鮮な感覚で次々とヒットソングをものにしていった。一世代上の中村八大、浜口庫之助、宮川泰ら和製ポップスの担い手たちに彼等が加わり、歌謡曲の黄金時代が到来する。

GS・OB組の活躍ぶり

GS出身で、その後俳優やタレント、ソロシンガーとして大成したメンバーは数多い。スパイダースの堺正章、井上順、ムッシュかまやつをはじめ、タイガースのジュリーや岸辺一徳、テンプターズのショーケンはもちろん、ワンダースの尾崎紀世彦や、サベージの寺尾聰、モップスの鈴木ヒロミツ、スウィング・ウエストの湯原昌幸らが有名。さらにマネージャーやディレクターなどスタッフサイドへのシフト組も含めると枚挙に暇がない。現在の芸能界はGSのOB及びその関係者たちが支えているといっても過言ではないだろう。

GS最新の出演映画は?

インスト・グループだった寺内タケシとブルー・ジーンズや加山雄三とザ・ランチャーズなどは別として、最も早くスクリーンに登場したGSはスパイダース。舟木一夫主演による日活『高原のお嬢さん』(65年)の中で「フリフリ」を披露している。GS初主演作もやはりスパイダースで、日活『ゴーゴー向こう見ず作戦』(67年)が最初だった。